なかなか、ここまで性善説とをごり押しして何でもかんでも「友愛」をくっつけられると、無節操にしか見えなくなって辟易してくる。
 鳩山家の友愛の思想的背景とその背景の人的系譜とその後の系譜、公共哲学に関する各種思想の友愛をキーワードにした統合的な哲学・社会学を論じ、鳩山首相の所信表明演説や政策の評価・解説する面で鳩山政権を見る上での解説本としては使えると思った。

 しかし内容的にはどうか。(友)愛と自由は人間の第一原理、行堂と公平などを第2原理としていくことなどには理解が出来る。が、その演繹局面に関しては、調子のいいところだけを取り出しているように思えてならない。また、時間的スパンを大きく取り過ぎて日本を世界に開放するようなこと、世界国家の樹立など、は夢想もいいところになっていると思う。また近く外国人参政権に賛成するのも、友愛で取り込もうは、日本人としての泥を被ろうという覚悟がるのかと言うことからして、ありえないことだ。

 そして、友愛をラディカルに演繹しすぎる。どうしてこうも意見を述べる人というのは物事を過激に展開してゆこうと言う人が多いのか。そりゃあ、潔さかもしれないが?もう少し引いて考えたほうがいい。

 ただし、社会的な弾力、堅固さ、包摂性、そういったもののための公共を考える上ではある程度役に立つと思う。厄介なのは、その考えを国家と言う上部構造から教育を通じておろされてくると言うものになったとき、考え、議論し、同意する、という基本すら失いつつある現在においては、危険な状況にあるように思われる。

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