世界的な中産階級の出現により食糧が逼迫すること、それは時代の必然であり一時期投機マネーが入って混乱したものの近未来において食糧の逼迫は避けられないものになるのではないかと言う前半、それを引き継いで物事が混迷した場合のシナリオとネットバイヤーである貧困農民の更なる貧困化・都市のスラム化という近未来を予測した中盤(黒のシナリオ)、対して物事を整理総括し農業を発展させる(灌漑や化学肥料、食糧流通)ことによりしのげる可能性を示した終盤(緑のシナリオ)、と言う構成。
 商業的農業に視点があり、そこから自給的で市場規模の小さい米に関してもどうも同等に見ている感があるところがアンバランスであり、また農業の市場自由化を推進すべきと言うところでは新自由主義チックであるが、真髄としては、食っていくためには商売も必要だと言うところにあって、商売のために食うのではないから、効率的な配分と言う考えの下に商業化を進めてはどうかという考えなのだろう。また特に先進国のミッションとして、技術普及や教育、低コストな土木を行うよう援助し、貧困農民を救う道を示唆しているのも新自由主義ではないことを印象付ける。
 黒のシナリオはまさに暗澹たるモノであるが、ソマリアやスーダンの現状を考えると、世界が一様に緑になることはないと思わざる終えない。また地下水やリン鉱石の枯渇問題を考えれば、化学肥料が万全でないことも明らかであり、全てに緑のシナリオが実現されることは、思想的には理想主義であり物理的限界を感じずにはいられない。
 緑と黒のまだらの世界だけでも何とか構築できないか。出来たとしてどれくらい持つのか。大きなバイオマスの人間は試され続けると思う。

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