コスト意識を持って農協ではなく市場を見て生産し販路を開拓しよう、と言うことに尽きるのだけど、それだけの経営能力が本来農家には問われるのだと言う批判でもある。その芽を摘むのが補助金であり、農協である、と。
 常に内向きな日本のやり方は私も好きではないし、庶民のための普通の食料を生産する著者のやり方は有機だ特別栽培だと言ったものに乗る安直さがなく正面から物事を取り組む姿勢を良くあらわしていると好感が持てる。
 きちんとした経営センスを持ってきちんと庶民の食糧を生産できる農家は確実に存在すると言うのは、森林生態学の世界から能楽の世界に転進してから良くわかったつもり。ただその潜在的な数やどれだけ耕せ、国民を養えるのかが判らないのは、何ともやりきれない。食料の数量をトップダウン・大づかみで求めることは、難しくはないが。

 農協を単純に悪に出来るならそれはそれで簡単。
 農協が時代にあった自立的良農を補助する農業に特化した小口金融窓口などの「パシリ」になれるよう上手くダウンサイジングしていくこと、或いは改良普及所のようなオーダーメイド施肥・防除と言った技術中心としてきちんと動けるかということがこれから必要なんじゃないか。
 一部の農協はそのあたりを心得ているが、多くはそうでないのだろう。
 農協がテレビ広告を打つ、非組合員の金融を扱う、と言うのは確実に異常だ。

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