頭書きと末尾に所謂「右翼」活動の問題点を告発しており、それはそれで意義はあるのだが、圧巻なのは中盤を支配する鈴木氏の半生で関わってきた多くの人々の列伝である。誰でも知っている大物ではなく敢えてその一層下になって隠れがちな人に焦点を当てたと言うが、そこで現れる人々の思想理論と言論の厚みには、右翼だ左翼だというものを超えた哲学の凄さがにじみ出る。
 もちろん、文献の引用・対談経験は鈴木氏によるディレクターズ・カットであり鈴木氏の理解と思考に依存する、色眼鏡を通しての話である。が、60年・70年安保はじめ左翼が表に立つなかで日陰・少数派の右翼と言われる立場においた苛烈な体験を、媚びることなく正面から書いてしまえると言うのはまったく、凄い人だと思う。

 浪人のとき、学生活動をしていた人と話していて、新右翼・新左翼といわれる人たちは怖い、と言っていたのが印象的だった。そして新右翼・新左翼と言われる人は立場を超えて手を組めるのだ、と言っていた。くりらじOSJでも泣く子も黙る「一水会」と言っていたりするわけだが・・・真に恐ろしいのは、佐藤優の言うところの、ファシズムや革命と言ったものが魅力的に見えてしまう人自身なのだろう。
 時代に生きている「気分」を味わうことの脅威である。

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