jet lag

2009年7月13日 日常
 何も考えられません・・・

 食べ比べたわけではないが、○○の素麺は旨い・・・と淡々と素朴な食材をけれんみも装飾も無く、「私の食物誌」は書かれていた。吉田氏は本当に文書が上手い、しっかりと味わいがあった。食道楽と言うのは、元来そういうものなのかもしれない。

 さて、二度目のイタリア・トスカーナ地方には、またあのオリーブオイル漬けのチーズの風味で食欲が減退する恐怖を感じていたのだが、今回は最後までおいしく食べてきた。何だかんだと騒ぎながら宴会調のノリが無かったからか、はたまたきちんと食べたいものを食べたいと思ったからか・・・少なくとも、前回は何を食べても駄目になったのだが・・・
 キャンチャーノ・テルメでは「トスカーナに来たら絶対一度は試すべき」と書いてあったミートソースのパスタを頂いた。麺はうどん位の太さ、もっちりと芯があって、少しきめの粗い肌。ミートソースは多分質の極めていいラムの赤味に香草と塩を効かせて多目のオリーブオイルで炒めたシンプルなもののように感じたが、もっと色々隠してあるに違いない。それほど肉に固執もしなければ、脂っこいのもどうかと思うきらいにも、以外に癖無く食べられて、皿に残ったエキスの染みたオリーブオイルを堅いパンに吸わせて頂くのもまたよろしい。
 麺用の小麦粉も相当に種類があるに違いないし、食べたものは生麺が基本だったようだが、その茹で上げ方もかなりの工夫があるようだ。もっちりとしてしかし歯切れ良く、とか、しっかり堅いがやはり歯切れ良く、など、小麦粉・練り方・ゆで方の選択の幅の広さには、日本の炊飯器が邪悪な機械に感じられてならないほどの手間があるに違いない。
 日本で食べるパスタの貧弱さ、ヴァラエティの無さには何とも悲しくなる。食べていて、日本で好まれるスパゲティーニは、結局うどんの超強力粉版なんじゃないかと思えてきた。それが必ずしも悪くは無い。うどんは日本人の幅広い食の重要アイテムであり、その相似形が最大公約数的に受け入れられるのだろう。それが食。日本のラーメンだって、上海で食べるラーメンとは別物だ(広いどこかには似た麺があるのだろうけど)。

 しかし反省したほうがいいこともある。何でもかんでも糖度で桃太郎になってしまった、水っぽくてつまらない日本のトマトと違って、トスカーナのトマトは、これまた絶品ぞろいだ。トマトチェリーと書いてあるもののさわやかな酸味が前面に出たもののソースは、軽く食欲をそそる。乾燥トマトをじっくりオリーブオイルでもどした添え物に油のこってり感は無く、さっぱりとした酸味とまろやかな口当たりに元来の果実であるかのような錯覚を受ける。プチトマトの味も濃く、サラダのトマトは元来のしっかりした味わいが、バルサミコ酢とオリーブオイルのドレッシングに全く負けない。この当たりの仕掛けは恐らく、気候条件上トマトに自然と水ストレスが加わる上に完熟させて収穫しているのだろう。見栄えと品質保持より味と言う実用価値を優先しただけと言えばその通り。

 今日は医者に行って、早く帰ろう。

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