三土修平・ちくま新書

 靖国神社の成立過程における問題・矛盾点、詰めの甘さ、から、靖国推進派・反対派(とでも書いておこう)両方の断罪への回帰は、なかなか読み応えがあり、非常におもしろかった。ドキュメントとしての価値も高い。

 個人的には靖国は神社より博物館にした方がいいと思っている。特殊法人ではなく、文化財保護法の方が日本狂気の時代をよりうまく表現出来ると思うのだけど、ナイーブな論理がもてはやされる世間では、そこまで成熟していない、まだ戦争は続いていると考えた方がいいだろう。少なくとも今を時めく厚労省との深いつながりの蜜月を考えると、宗教と考えるのは不適当だ。同時に皇室&宮内庁は文科省の独法に、皇室行事は文化財保護法の元に置くのが適当だろう B-)・・・と言うのは厳しいが、昭和天皇の忸怩たる思いを夢想するに、天皇靖国参拝支持者は私異常の天皇否定論者だなぁ、と思ったりする。すくなくとも、空気読めてないね。

コメント

nophoto
Sa−Q
2008年8月16日15:25

こんにちは。Sa−Qです。

三土修平氏は、数年前、マル檄にゲストに来た事がありましたが、問題点を非常に分かりやすく整理して下さった印象があります。

その際の「GHQは靖国神社に宗教性を捨てて無宗教の公的追悼機関として存続する道と、宗教法人として宗教性を維持する代わりに、あくまで一宗教法人としての地位を甘受し、公共性は放棄する道のいずれかを選ぶように迫った。」という指摘が印象に残ってます。

淵瀬さまの仰る「博物館に」という選択は、靖国の宗教性の放棄、という点で、前者にあたるのでしょうね。

淵瀬春秋
淵瀬春秋
2008年8月17日5:06

「迫った」ことと共に「見直しの隙」を狙っていたのですが、日本官僚の抵抗に会い、敢え無く二枚舌を許す現在となっています。二枚舌の一枚を引き抜く手段として、私は宗教性の放棄を論じるわけですが、いずれ潰れる神社のひとつ(てか、あの高コスト体質はどうにか出来るでしょう)として凋落の道を歩むならそれもまたよしです。

お気に入り日記の更新

最新のコメント

日記内を検索