8/13 水・曇り:食堂盆休み
2008年8月13日 日常 朝はまあまあの時間。今日もよく眠った。調子良く出勤して、メール&WWWで情報を収集しながらpodcastを聞く。学会発表の準備をするが、それなりの手応えで1枚を除き概ね午前中に終了。
昼食は1kmほど歩いて共同利用施設の食堂にて。職場の食堂が休みだから。時間早めと言うこともあってか、でも定時になっても伽藍堂。そういやテーブル配置も随分ゆったりした感じになっている。業者が変わって、味は良くなったと思う。まあまあ満足。汗を流しながら帰る。
午後は残る1枚、比較的考えるモノで、でも簡単な事でつまっていたのを乗り越えれば、意外とあっさり話は済んだ。アニメーションを加えて初稿製作終了。少々考えていた論文の図を作り、出来上がった図を流し見て、ストーリーを再考する。定時を過ぎてお茶の時間を過ごして、帰宅。この時刻で、と思える時間で帰宅できた。
軽く食べ、DVDを見て、ネットを徘徊し、日記を書く。
お盆に休みを取ると言うのは悪くないと思う。私も妻も夏バテぎみである。ちょうど疲れてくるらしい。とはいえ私にとってはこの暑さはそれほど堪えるものではない・・・広島に比べれば、随分と風も涼しくカラッとしている。とはいえ、つまらん疲れを蓄積して妙なミスをするより、きちんと休みをいれるべきだろう。
職場も社会もお休みムードなんだし。・・・混んでるからずらしてきちんと休みます。
オリンピック報道は戦争報道に似ている、どちらも温泉宿の土産として売られていない・・・なくて(帽子男好きです)、そんな話が妙に腑に落ちて、何故オリンピック放送を好きなれないかが理解できた。この時期になると毎度戦中の資料が発見されるが、これも結局日本帝国が形態を変えて脈々と生きつづけていると言うことなのだろう。何となく熱狂させてくれて、母性的な感覚のある、無意味な主体に取り込まれたいという、自由からの逃走である。
別に、アマチュア世界のトッププレーを見る事に私は躊躇しない。20年ちょっと前には、夜中にワールドカップサッカーを見ていた事もあるくらいで、スポーツ観戦は嫌いじゃないのだ。
が、私は好きな種目の優れたプレーを見たいのであって、日本人選手を見たいのではない。
こういう機会にナショナリズムを唱える(倫)に至ってはPi-である。
うちの前は東京に続く幹線国道。明後日の朝には鬱陶しいのが通るんだろうなぁ。
昼食は1kmほど歩いて共同利用施設の食堂にて。職場の食堂が休みだから。時間早めと言うこともあってか、でも定時になっても伽藍堂。そういやテーブル配置も随分ゆったりした感じになっている。業者が変わって、味は良くなったと思う。まあまあ満足。汗を流しながら帰る。
午後は残る1枚、比較的考えるモノで、でも簡単な事でつまっていたのを乗り越えれば、意外とあっさり話は済んだ。アニメーションを加えて初稿製作終了。少々考えていた論文の図を作り、出来上がった図を流し見て、ストーリーを再考する。定時を過ぎてお茶の時間を過ごして、帰宅。この時刻で、と思える時間で帰宅できた。
軽く食べ、DVDを見て、ネットを徘徊し、日記を書く。
お盆に休みを取ると言うのは悪くないと思う。私も妻も夏バテぎみである。ちょうど疲れてくるらしい。とはいえ私にとってはこの暑さはそれほど堪えるものではない・・・広島に比べれば、随分と風も涼しくカラッとしている。とはいえ、つまらん疲れを蓄積して妙なミスをするより、きちんと休みをいれるべきだろう。
職場も社会もお休みムードなんだし。・・・混んでるからずらしてきちんと休みます。
オリンピック報道は戦争報道に似ている、どちらも温泉宿の土産として売られていない・・・なくて(帽子男好きです)、そんな話が妙に腑に落ちて、何故オリンピック放送を好きなれないかが理解できた。この時期になると毎度戦中の資料が発見されるが、これも結局日本帝国が形態を変えて脈々と生きつづけていると言うことなのだろう。何となく熱狂させてくれて、母性的な感覚のある、無意味な主体に取り込まれたいという、自由からの逃走である。
別に、アマチュア世界のトッププレーを見る事に私は躊躇しない。20年ちょっと前には、夜中にワールドカップサッカーを見ていた事もあるくらいで、スポーツ観戦は嫌いじゃないのだ。
が、私は好きな種目の優れたプレーを見たいのであって、日本人選手を見たいのではない。
こういう機会にナショナリズムを唱える(倫)に至ってはPi-である。
うちの前は東京に続く幹線国道。明後日の朝には鬱陶しいのが通るんだろうなぁ。
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