アメリカ民間戦争会社によるイラクでの暴虐、ブラウン首相石油業界に物申す(ディーゼル油が問題)、などBBC
子供ブッシュはテロとの戦いについて述べイラク・アフガンは日本ドイツのように再構築されるべきと言う(-_-##国民の受け取り方が違うだろ)、ママ戦い続ける、来年の新Winではマウスがなくなりタッチパネルになる、お偉いさんのロリコン写真、などCNN
先日、T大大学院博士課程後期の院生が職場に来ました。同室のYリーダーがこの大学院の特任教授でそこに師事するということでした。現在D2、論文は何本いるの?とYリーダーが訊くと
「1本、今書き始めました」
「修士からT大ですけど学部からだと0でも良いんですよ、T大は」と同行のH先生
これからどうするの?というYリーダーの問いに、
「まだ考えてません」・・・(-_-#
「研究者になるなら稼がないとだめだよ」とYリーダーは呆れ気味
こうして坊ちゃん院生の公共ディプロマ・ミルが発生するんだね・・・高学歴フリーターは仕方ないと思えてくる
石油高が止まらない。マネーの焦げ付きと信用のために生活の根幹に搾取の元を求めた形だ。しかし市場化されない資金の受けてはまだ多いと私は思う。例えば発展途上国への政府支援基金を証券化し、ハイリスク・ハイリターン商品にしてはどうか。・・・まあ、生命の根幹にかかわる=お金に還流できるものに循環参照的にしたほうが信用は得やすいということになるのかもしれないが・・・
日本人には向かないこととして、障害・病と付き合いながら生きる、というものがある。心身ともに健康で五体満足で欠陥がない状態が標準で規格外は認めないのが日本社会であり日本人のモードである。私は大学時代に右手の腱鞘炎で苦しみ、今は鬱病で薬漬けである。こういうのは排除するのが日本社会でこうした欠損に触れることは日本人のタブーである。だから医療=治療=完治と言うのが絶対の要請になっているし、そのための科学技術には不可能であっても多大な金と人が動いている。私はナチの医療研究と同じだと思うけど。
ではどうするか、と言われたら、間違いなく医療から看護へ介護へさらに福祉へと社会に占める範囲を広げてゆくことであり、障害や病を持ったときにこれらのどれか・幾つかを組み合わせることで、ノーマライゼーションとホスピスを充実させることである、と言うだろう。前者は個人より社会に、後者は社会より個人に依存する部分が大きいが、ともに障害・病を認識することから始めなくてはいけない。
仕事一辺倒で趣味も仕事に付帯するもの(ゴルフとかね)、または家庭の要で趣味は教室に出て、で個人と言うものが確立されていない中では厳しいけどね。そういう人達に、役割を他人に委譲して、ストレスの少ない自分の時間を充実させた病と付き合う生活、ホスピスをと言うのは、不可能に近いけどね・・・
私は障害を持ったことも、倒れて死に掛けた事もあるので、覚悟を決める意味で臓器提供意思表示カードで全臓器の提供を表明している。が、これを人に勧める気は毛頭ないし、臓器提供をしないことを表明する人のメンタリティは判るつもりだ(そして死ぬことを考えていない大多数の人のメンタリティも)。そして、親子間での臓器提供などをヒロイックに賛美する事は、口を開けて強請り妬むだけの態度(これは臓器を、ではなく自分の名誉や金や地位など青く見える他人の芝生に対してです)と同じくらい下劣な行為だと思っている。
助けるためとはいえ健康な身体にメスを入れることは倫理的に厳しいものでもある(病気の手術だって同意を要するし、保証人を要することがある)。また、死んだ人は仏様になるのが日本の価値観だし、聖書においても死人の靴を取ることは憚っている。その枠を堅持することとあえて破ることを明示することは、それぞれに尊重されるべき個人の意思である。
子供ブッシュはテロとの戦いについて述べイラク・アフガンは日本ドイツのように再構築されるべきと言う(-_-##国民の受け取り方が違うだろ)、ママ戦い続ける、来年の新Winではマウスがなくなりタッチパネルになる、お偉いさんのロリコン写真、などCNN
先日、T大大学院博士課程後期の院生が職場に来ました。同室のYリーダーがこの大学院の特任教授でそこに師事するということでした。現在D2、論文は何本いるの?とYリーダーが訊くと
「1本、今書き始めました」
「修士からT大ですけど学部からだと0でも良いんですよ、T大は」と同行のH先生
これからどうするの?というYリーダーの問いに、
「まだ考えてません」・・・(-_-#
「研究者になるなら稼がないとだめだよ」とYリーダーは呆れ気味
こうして坊ちゃん院生の公共ディプロマ・ミルが発生するんだね・・・高学歴フリーターは仕方ないと思えてくる
石油高が止まらない。マネーの焦げ付きと信用のために生活の根幹に搾取の元を求めた形だ。しかし市場化されない資金の受けてはまだ多いと私は思う。例えば発展途上国への政府支援基金を証券化し、ハイリスク・ハイリターン商品にしてはどうか。・・・まあ、生命の根幹にかかわる=お金に還流できるものに循環参照的にしたほうが信用は得やすいということになるのかもしれないが・・・
日本人には向かないこととして、障害・病と付き合いながら生きる、というものがある。心身ともに健康で五体満足で欠陥がない状態が標準で規格外は認めないのが日本社会であり日本人のモードである。私は大学時代に右手の腱鞘炎で苦しみ、今は鬱病で薬漬けである。こういうのは排除するのが日本社会でこうした欠損に触れることは日本人のタブーである。だから医療=治療=完治と言うのが絶対の要請になっているし、そのための科学技術には不可能であっても多大な金と人が動いている。私はナチの医療研究と同じだと思うけど。
ではどうするか、と言われたら、間違いなく医療から看護へ介護へさらに福祉へと社会に占める範囲を広げてゆくことであり、障害や病を持ったときにこれらのどれか・幾つかを組み合わせることで、ノーマライゼーションとホスピスを充実させることである、と言うだろう。前者は個人より社会に、後者は社会より個人に依存する部分が大きいが、ともに障害・病を認識することから始めなくてはいけない。
仕事一辺倒で趣味も仕事に付帯するもの(ゴルフとかね)、または家庭の要で趣味は教室に出て、で個人と言うものが確立されていない中では厳しいけどね。そういう人達に、役割を他人に委譲して、ストレスの少ない自分の時間を充実させた病と付き合う生活、ホスピスをと言うのは、不可能に近いけどね・・・
私は障害を持ったことも、倒れて死に掛けた事もあるので、覚悟を決める意味で臓器提供意思表示カードで全臓器の提供を表明している。が、これを人に勧める気は毛頭ないし、臓器提供をしないことを表明する人のメンタリティは判るつもりだ(そして死ぬことを考えていない大多数の人のメンタリティも)。そして、親子間での臓器提供などをヒロイックに賛美する事は、口を開けて強請り妬むだけの態度(これは臓器を、ではなく自分の名誉や金や地位など青く見える他人の芝生に対してです)と同じくらい下劣な行為だと思っている。
助けるためとはいえ健康な身体にメスを入れることは倫理的に厳しいものでもある(病気の手術だって同意を要するし、保証人を要することがある)。また、死んだ人は仏様になるのが日本の価値観だし、聖書においても死人の靴を取ることは憚っている。その枠を堅持することとあえて破ることを明示することは、それぞれに尊重されるべき個人の意思である。
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