昼のワイドショーで、生活情報番組で、紹介された食品が飛ぶように売れる、というのは日本では当り前の現象のようである。では、その番組で、1ヶ月前にやっていた食品を当てられる人、半月続けられた人はどれだけいるのだろうか?
 これはポジティブな情報のファディシズムと言えると思う。
 ということはネガティブな方面にも言えることで、そのいい例がマーガリンのトランス脂肪酸ということになるんじゃないかと思う。もちろんこれにも過去の例はあって、所沢ダイオキシン問題はちょっと前にあったいい例だと思う(仮りに「高濃度ダイオキシンが観測されたホウレンソウを毎日1kg」食べてもWHOの摂取の規制に引っかからない程度の濃度だった)。
 情報はインパクト重視、内ゲバ的にもあるがやはり輸入モノに日本人は弱い。私の読むバタ臭い自動車ジャーナルHPでもマーガリンは流れた。

 こういう時の結果は二つの流れになると思う。
・カーニヴァル化し、一時的な盛り上がりで忘れてしまう。ある面で毒にも薬にもならない話ならいいが、時々事件として記録される場合がある。
・カーニヴァル化し、禍根を残し名誉回復がないままに、場合によっては税金の使い道として活用される。

 前者の例は幾らでもあるので挙げないけど、後者は何かと深刻だ。ダイオキシン・温暖化は正負議論があるから置いといて(その分金もかかってるけど)、自閉症などの精神障害(精神的外傷ではなく脳内物質の問題)、少子化問題(データを正しく読むと女性の収入を抑え社会進出させない方がいい)、バイオ燃料(輸出国の穀物市場の高どまり策)、ぶち上げるのはいいが、その後の責任はないままに隔離、社会政策化、指標化がなされてしまい、本当の所の検証という現状と事実の見直し検証というフィードバックがなされないままに物事が動いてしまう。
 昨日のエントリでも書いたが、食品リサイクルで静脈部分が重要なんて昔からのことで、これを解析するということをまったく無視している(三輪叡太郎東農大教授は反旗を挙げているが農学の世界だけだ)。

 本当に知的であるなら、話題(国内外の科学かもしれないし、センセーショナリズムかもしれない)から大衆へ、という情報の動脈があるなら大衆から話題を検証し還元する情報の静脈部分があってもいいはずである。この働きは極めて弱いのではないか。

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