メディア・バイアス あやしい健康情報とニセ科学 (光文社新書 (298))
2007年11月4日 読書 コメント (3)
ISBN:4334033989 新書 松永 和紀 光文社 2007/04/17 ¥777
現代マスメディアの問題点を科学ジャーナリズムの面から評価した本。マスコミの無責任と大衆の陽動され易さには辟易する部分もあるが、そのあたりを上手いこと書いてくれた名著。メディアにバイアスされない場合の科学的情報も書かれているので、そっちの価値も高い。
簡単な事だけど、善悪二元論、唯一原因論は嘘だと思ってまちがいない、良く出来たストーリーも注意した方がいい、行間を読んではいけないが裏は考えた方がいい、・・・
情報の多元化の中でもなお、日本語という檻の中からでないと言うのは、情報鎖国と言っていい。大人が英語の情報に触れ発信する事によって成り立つ、ということを判っている大人が、子供に英語を教えている(覚えさせている)訳ではない、と言うのがそもそもの問題。中学英語は(語彙さえあれば)国際的に通じる、と言う事実を、どれくらいの人が知っているかも疑問。
ちなみに研究者として一言、マスコミに流すのは、真っ当な研究者なら論文で発表して、業界紙・本に書いて、もう新奇性も何もなくなった枯れてどうでもいい話だけ。というのも、論文はなにごとに対しても未発表のものに限るから。「最新情報」をひけらかす研究者が出てきたら、それはどんな肩書があってもガセネタだ(いい例がダイオキシン報道)。
私もずいぶん手のうちを明かしているが、具体的データを出さないのは、もちろん科学論文にするため。出てきている数字があっても、それは発表後の二次情報(といっても一般のブログを読む人には限りなく一次情報に近いが)かその引用である。
現代マスメディアの問題点を科学ジャーナリズムの面から評価した本。マスコミの無責任と大衆の陽動され易さには辟易する部分もあるが、そのあたりを上手いこと書いてくれた名著。メディアにバイアスされない場合の科学的情報も書かれているので、そっちの価値も高い。
簡単な事だけど、善悪二元論、唯一原因論は嘘だと思ってまちがいない、良く出来たストーリーも注意した方がいい、行間を読んではいけないが裏は考えた方がいい、・・・
情報の多元化の中でもなお、日本語という檻の中からでないと言うのは、情報鎖国と言っていい。大人が英語の情報に触れ発信する事によって成り立つ、ということを判っている大人が、子供に英語を教えている(覚えさせている)訳ではない、と言うのがそもそもの問題。中学英語は(語彙さえあれば)国際的に通じる、と言う事実を、どれくらいの人が知っているかも疑問。
ちなみに研究者として一言、マスコミに流すのは、真っ当な研究者なら論文で発表して、業界紙・本に書いて、もう新奇性も何もなくなった枯れてどうでもいい話だけ。というのも、論文はなにごとに対しても未発表のものに限るから。「最新情報」をひけらかす研究者が出てきたら、それはどんな肩書があってもガセネタだ(いい例がダイオキシン報道)。
私もずいぶん手のうちを明かしているが、具体的データを出さないのは、もちろん科学論文にするため。出てきている数字があっても、それは発表後の二次情報(といっても一般のブログを読む人には限りなく一次情報に近いが)かその引用である。
コメント
メディア・バイアスに関しては、少し古い本ですが、『粉飾戦争―ブッシュ政権と幻の大量破壊兵器』(http://www.amazon.co.jp/dp/4901873148)が大変面白く読めました。
広告代理店と戦争の関係、に限っても『ドキュメント 戦争広告代理店』より、かなり深く掘り下げられてる印象でした。
翻訳にあたった神保哲生氏は「あの、9.11 以降の狂乱状態でもキチンとした記事を書く記者がいて、載せるメディアも(ささやかながら)あった。そして、メディア広告関係の NPO である 『CENTER OF MEDIA AND DEMOCRACY』が『公開情報』の中から丹念に掘り起し、広告の観点から緻密な分析の上で纏め上げる。こういう『チェック』が働くところが、実はアメリカの強みなのではないか」という意味のことを「まえがき」で書いてたのが印象に残ってます。
日本の情報能力に関しては江畑健介氏が「情報と国家」の数章で日本にはまともなインテリジェンス機関がないとインテリジェンスに関して興味がない事に関して述べています。この辺りの国民・国家的素地の有無がアメリカとの差異を生んでいるのでしょうね。
後、英語+スペイン語と言う言語圏の広さもモノを言うと思います。日本は言語鎖国の国だと思わねばなりません。何人かのフリージャーナリストがそのニッチに食い込んでしますが、そんな程度ではインテリジェンスにはならないでしょう。
『情報と国家』、ワタシも読んだ記憶があります。
記憶に残ってるのは、「インテリジェンス」供給源の老舗(笑)であるはずのアメリカCIAに於いてさえ、「ヒューミント」軽視のため、大いに弱体化している、という点でした。
日本に関しては、諸外国で辛うじて「インテリジェンス機関」と見て貰えるのは、警察庁警備局(公安)の極一部だと、何だったかで読んだ覚えがあります。
日本の公安警察に関しては色々と言いたいことはありますが、それは置いとくとしても、国外で活動できない(ことになってる)公安警察が、日本のインテリジェンスを担ってるというのは皮肉なことかも知れませんね。
なんにしても、「インフォメーション」と「インテリジェンス」、ワタシの専門分野(IT)でも結構重要なテーマだったりします。