って、いつもの事だけど。

 テポドンが日本上空を飛んで太平洋に落ちた暫く後、福田官房長官(当時)は、その命中精度を「山手線の内側に落ちる」と発表した。ご存知の方は多いとは思うが、山手線は北東-南西方向に長い楕円形である、と言う所からも突っ込めるが、一言抜けている事のほうが残念だ。抜けているのは、頭に「半数は」をつける事。物事にはばらつきがあり、「絶対」と言うのはほとんどないと言って良い。精密誘導兵器でも、「半数必中半径」即ち100発のうち50発が落ちる範囲が、精密に決められる、と言うだけで、実は半分はズレた所に落ちる(その50発が落ちるのが半径60cmとも言われるので、ほとんどピンポイントだが)。いわんや、誘導しないで遠くに放り出すだけの弾道ミサイルは何処に落ちるか判らない。空港のような敷地であればどこかに半分くらいの確率で落ちる可能性があるものの、滑走路なのか、管制施設なのか、格納庫なのか、そういった事は判らない(精密誘導兵器、巡航ミサイルはこれらを区別して攻撃できる)。
 湾岸戦争をリヤドで取材したジャーナリストの本では、スカッドミサイルが飛んで来て警報が鳴ったらビル、政府の主要施設の集まる真ん前、つまりは狙うならココの前、と言う場所の屋上で何処に落ちるか見ていたと言う。それくらい当らないそうだ。勿論、どこかには落ちるので、犠牲者は出るがその件は後述。
 だから弾道ミサイルは核兵器に限る、というのが原則。スカッド、ノドン、テポドン、どれも積載能力は1t無いと言われる。爆発すれば大変と言うと大変だが、日本のF-2支援戦闘機には8tのペイロードがあるし、JDAMなら精密誘導だからミサイル一発どこかに落ちるより、確実に怖いものが落ちたら困る所に何倍も降ってくる事になる。上述のジャーナリストはF−16による空爆も経験したが、それはまさに恐怖体験で、飛んで来られたら即地下に隠れるのが基本だったと言う。
 核兵器だと小型でも数100〜数1000t換算だから、落ちる場所が山手線の長径方向でも相当のダメージを与える事が出来る。15ktの広島に落ちた原爆で、被爆建造物は相応にあるものの、3-4kmはなれていても鉄扉や鉄格子がグニャグニャに曲げられているのを見れば、納得してもらえるだろう。
 
 問題の北朝鮮核兵器、実験した結果は、失敗、失敗とはいえ数100tと言う威力は爆発としては十分に脅威だが多分ミサイルには載せられない、威力可変型でミサイルに積めるくらいのものになっている、色々な説がある。最後の説に従えば、相応に厄介。フェイクでもBMDと考えたいか。
 昨夜のテレビでハマコー氏が、「ミサイルが飛んでくるんだよ、その時に戦えなくてどうする」と言っていた。ある面で、日本人のメンタリティを良く表現していると思う。北朝鮮の「東アジアを火の海にする」と言うのは、数発の核爆弾で出来るわきゃないのだが、それでも通常弾頭の何発かはどこかの不幸な人の上に落ちるのは事実である。その面でも説得性があるように見える。

 が、まって欲しい。孫氏の兵法の最初を読んで欲しい。戦争が起ころうと言うとき、これを絶対的に避けるよう尽力するのが至上命題である事を示している。叙情的に出は無く叙事的に述べれば、社会経済を食いつぶす最悪の穀潰しである。飛んで来ないようにしむけるのが政治の役割で、それを放棄して災難だけを強調するのは全くおかしい。
 また、もし強硬策に出た場合、相手も相応の強硬策に出る事は必至で、その辺りの政治的リスクを社会・経済・科学等により表現し国民に説明し納得を得る事も政治の役割である。そのような事は全く行わず、完全に感情に訴えるだけで世論を進めようといいうのも全くの間違い。
 日本人と外人のメンタリティの違いはあるが、国家間のやり取りはそんなものを取っ払った乱闘なのである。適当な規模で言論も政治も経済もまとめられてしまう内向きの話では絶対に解決しない。
#だから私は英語では普段と違って多弁になる・・・無茶疲れる

 前、日曜洋画劇場で「出口のない海」と言うのをやっていたが、私には何とも笑止だった。感情で済めば戦争は起きない。「潜水艦戦争・下巻」(レオンス・ペイヤール)、「潜水艦・回顧と展望」(堀元美)の人間魚雷の部分を読むべきだ。20分もかからない。特に設計技師として事実を書き綴った堀氏の筆には血の涙がにじむ。

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