昨日のサクシードの乗り心地の悪さに、トヨタ車に対するくだんの悪辣な思いを、思いだけで述べてしまった。
 データがあったので、大幅に改定。が、ハイブリットを環境のために、など欺瞞だと言う意見には変わりがない。もし本当に低燃費を目指すなら、ヴィッツかラクティス(こいつらはサイドシルと床下に電池を積める)といった大衆&低燃費車に装備するべきだ。
 これが出来ないのは、所詮ポーズだからだ。

 LCA実務をやった経験から言うと、LCAは何処をライフサイクルの始点にし、終点にするか、は任意である。一見、良く見えるのは、実は良く見えるように始点と終点の境を区切っている場合がある。

コメント

sunao
sunao
2007年6月8日13:19

ご無沙汰しています。
他車と比較して走行段階でCo2を排出しない車がリサイクルに適しなかったり、実は製造段階でより多くの資源を利用していたり・・・
LCAの限界を研究者はみんな知っていて、
(おそらく偉大な自然に対する無力感は多かれ少なかれ感じていると)
評価手法の利用方法や一般への伝達方法に
少し問題があるのではないか?と思っています。
また環境問題に対しての多面的で複合的な見方が
欠如しているのように思えます。

淵瀬春秋
淵瀬春秋
2007年6月11日9:28

伝達方法に問題があるとのご指摘はその通りだと思います。
表示にシンプルさを求める事が最大の問題点でしょうね。
少なくとも、メリット(負荷軽減効果)のみではなく、デメリット(例えば再資源化に要するエネルギー、安易には廃棄にかかる経済コスト)に関しても情報を開示する事と、それを評価し判断する消費者の能力が必要になるのでしょう。
 この手の事を研究者として上手く探求し啓蒙する事は勿論必要ですが、それ以前に、大量消費・大量廃棄の内幕をもっと明らかにした上で、これを控える社会を構築すると言う社会科学的側面も必要になってくるのではないかと思います。

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