朝はわりと目覚めが良い。朝食を食べ、速攻で出勤する。
 朝一にポスドクさんの報告を受ける。この半年のまとめ。宣伝もできているし、本論に肉づけしてゆけば、結構良い雑誌に通せるのではないかと思う。知的刺激をかなり受ける。
 取りやめになった部内資料を補完するためのちょっとした計算をやり、足りない検証のための情報を集めに他の職場の図書館へ。北風が強いのに閉口する。数字の迷宮に入りかけたが、発想を転換したらきれいに解ける問題だった。しかし・・・水稲への配合肥料の施用量が結構多いことに、ちょっと恐怖する。肥料成分1%の誤差が施肥量を10%変えたりするんだもんなぁ・・・。農水省生産局、どういう鉛筆のなめかたをしているのか。
 なんだかんだで定時を過ぎる。ホワイトデーなので妻にケーキを買って帰ることにする。いつも通り荒川沖駅前のプチ・エテに行くと相当の人だかり、男性ばかり。店員さんとパティシエさんが総動員で注文を聞き、箱詰めしていた。ホワイトデー用にクッキーなどを結構焼いていたようなのだが、かなり売れている。ケーキも勿論。通常より多めに焼いているのだろうが、これもまたかなり数が減っていた。これでホールケーキが買えたのは、時間が比較的早かったからか?
 帰り道、注文していたCDが入ったから、と旧居近くの店に行くと、ついつい旧居に帰りそうになった。危ない危ない。

 帰宅すると妻も帰った所だった。弁当を食べ、ケーキを頂く。

 弁当には小盛りのごはんが3つ。一つは赤米入りだった。
 赤米・黒米は、ハレの日に食べるのが本来で古来の農村文化だった。それが一時的に無くなったのは簡単、50年代後半から60年代にかけて、農林省が米自給率100%達成のために水田の拡大と反収確保を推進し、通常の食用ではなくおそらくは収量も低かったであろう赤米・黒米を作付することを事実上禁止した。そして排除完了と自給率100%は概ね同時期に達成される。まさに勝利宣言を上げてよいのだが、次の年からはダブついた米の補助金が重荷だと大蔵省から補助金が降りなくなる。減反の開始である。80年代後半遺伝資源の探索と90年代初旬中山間地の振興策として脚光を浴びようというときには、かつては全国にあった赤米・黒米で生き残ったのは、神社の供物用にその裏で作られていた2系統だけだった。90年代後半以降、農水省の旗振りで作付が奨励される。農水省の官僚はその間に完全に入れ替わってしまったが、中山間地の営農者の方々はどうだろう?
 私なら「ふざけるな!」と言うだろう。
 今市場に出回っている赤米・黒米は中国から輸入した品種がほとんど全てだ。文化と言う意味も完全に失われ、種としても途絶えてしまった。そんな中で新しい農業として何を提言できるだろう?

 ちなみに、粟、黍は米より高く、食べるようにするのにひと手間かかる稗はさらに高いし、10年前ちょっとは探すのに苦労した。盛岡で発見したが、価格は100g350〜円。これに「有機」が付くと500〜700円を越えた。ヴァージョンの古い魚沼コシヒカリ(新ヴァージョンでも食味は変わりませんが)より高い。岩手産であることを確認して購入したが、これも狂った経済かもしれない。水田雑草に有機も何もあったもんじゃないんでは?でもいや、でも食文化に欠かせない物でもあるしなぁ・・・難しい。
 今年は猛暑らしい。東北の米がより美味くなる。青森・岩手の米はブランド化が進んでいないため、安くおいしいお米を食べたいなら、この2県産が狙い目だと思うが、住処ではまず手に入らない。雑穀共々買いに出かけようかな?

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