色々思う事

2007年2月5日 お仕事
 日本LCA学会から座長を頼まれたが、その日はプロジェクト研究の年次研究会のため出席できないと言う残念な事となった。農業の世界からは見えない、食料の世界のしかもLCAに関して情報が集中する場の座長を任されると言う事は、否応無しに膨大で新鮮な情報を手に入れる事が出来ると言う事だ。
 生態学を学んできた者として、農学は私の専門の源泉であり、人間の生態のフットマークとしての解析をしてみたいと思って、農業試験場(配属は研究所だけど)に就職を希望したのだった。しかし学位を取る前後の私の内外の物事の生々しい動き(それに関してはまたいつか書く事にしようと思う)から、従属栄養生物としての人間を見るとき、食料の問題をなんとか捉えることが、興味として浮上してきた。

 日本の食料自給率(換言すれば海外依存率)はOECDで2番目に悪いのはご存知の事と思う。これには農業者側の意識と消費者側の意識の、悪しき迎合とそれを助長する農水省の施策があったと言っていい。最たる物は、食管法による麦類の直接管理から間接管理への転換と米離れである。これによって、穀物自給率(これは日本でしか使わない尺度)は減退した。

 あるとき、共立女子大の先生と話していて、私は技術的には西日本では自給率100%以上、東北以北でも70%はいける、と抗弁した。この数値に、実は十分なバックデータがある訳ではない。が、宮崎の農業試験場の悪の枢軸・同期Kとやり取りする中で、あながち間違っていないと思われる概算値が出た事が基礎としてある。具現化するのは、2年後に今の研究の上で日本農業の未来のシナリオ分析をするので、その時に論文化するつもりである。
 が、それを聞いた先生は、とんでもない、と仰る。「農水省のHPを見なさい。自給率上昇のためだって芋飯を給食で出してるのよ。そんな貧しい食事、絶対に出来ませんし、教えられません」私は思考が停止した。そんな事を官僚は考えているのか?自給率を上げるには、冬はご飯と漬け物、冬至にカボチャが精々、などと豪語する農学のみをやってきたある研究者とそれに同意する面々も、私は知っている。が、日本の農業技術、それが化石燃料に依存する物であっても、その進化は目を見張る物があると思う。周年出荷技術など、何処の国が実現するか、と言う代物である。勿論、コストと労力の問題はあるし、旬の野菜は栄養価が高い。が、ダウングレードしてもかなり色々な物を、一つの土地で季節を変えて作る技術そして確立すれば、地域に基礎をおいた自給的農業の未来につながると信じている。
 それを環境的に(私の場合、肥料学的なLCA)で評価し、出てきた結果を、「甘受すべき負荷」「誇りにかける環境コスト」として提示できないか。それこそが、地域としての推奨される農業体系として生産者と膝を突き合わせて戦う材料だと思うし、OECD農業環境指標に対する抗弁でもあると思う。

 これが目の前の報告書と論文(データは出ているんだけど・・・)の現実逃避でないようにしないとね。別途経常的研究は行って、後は強弁するための勉強に充てなくては、と思う。

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