朝はゴミを出して、妻を駅に送って車で出る。環境上良くないよなぁ(金銭の収支だけならバスより車の方が安い)。

朝一のメールとWWWの確認、物品廃棄の届け出は今日まで、と言う話が来た。物品表の打ち込みが必要なのにクラッと来たが、こういうことはパートさんが慣れているので、朝のお茶の後に作業を依頼した。
モチベーションはイマイチ上がらないが、昨日書いた論文の修正稿と回答文を読み直す。結構穴があった。途中ポスドクEさんの科研費の件でK先任にアドバイス(余り雇用条件下をタイトに考えなくていいとか)を頂く間に、何か忘れている・・・と思ったら、2002年の自分の論文で使った文献を引用していない事だった。急ぎ書き足し、本文と回答文を読み込み、書き直しして、ひとまず昼食。
午後は引用文献のチェックをして、漏れと無用がないかどうかを見る。正しい記載のないものの穴埋めも必要だった。論文がまだ段ボールの中だったりするので、文献検索エンジンやオンラインジャーナルで検索をかける。文献コピーを読みながら書くより、効率的で確実かも知れないと思う(copy&pasteだし)。これで完成、オンライン投稿に持って行きます。オンラインじゃなかったときは、手書き部分があったり、コピーに走ったり、〆切日と郵便の集配時間を睨んだり、結構なイベントだった。物体を持って回るのだから、身体的な実感もあった。しかしオンライン投稿というのは、全く架空のものを扱っている感じがして、どうも実感がない。改訂稿提出期限迄20日を残して、兎も角終わった。私にしてはかなり遅くなった方、色々ありすぎたよ、この40日。
お茶の時間に、Eさんの彼女が来るからどこか県内の観光地を知りたいという。温泉もあるけど彼女は岩手の人だから嘘っぽく見えるだろうなあとか、つくば研究所巡りは却下とか(筑波研究学園都市は茨城県民の観光地なんだけど)。大子町で袋田の滝にリンゴ湯のある宿泊施設や(旧?)山県町にある蕎麦を使ったお菓子の店を紹介する。ついでに税金の無駄遣いで必ず紹介される竜神峡大つり橋、密かに雰囲気の良い西金砂神社とか。

一仕事終わったあとなのでボンヤリしながらネットを回る。OECDのファクトブックやアウトルックに日本農業の将来予測とかなかったかな・・・と。ある意味、少しだけだが行政系統の情報や人的つながりがあることが、環境省のプロジェクトに関わることとなった私への期待でもあるようなので、時間を割きたい。

そして帰宅、メールを確認すると土壌肥料学会から一通。内容が見え透いているだけに背中に冷たいものが走った。学会のシンポジウムで発表したあと不確定要素ばかりだが覚悟しておいて欲しい、とオルガナイザーから言われていた学会シンポジウム本の企画が通ったとのこと。添付書類には〆切も体裁も書いてなかったが、兎も角本の原稿を書いておかねば、これ以上に研究の立て込む年末までに死亡遊技だ。一難去ってまた一難。終わりなき〆切との戦い、私は勝ち残れるのか?

北朝鮮の核計画のなかで浮かんできた三次元測定器の流出問題、個人的にはどうもすんなり行かないところがある。物体の寸法の測定を極めて高精度に測定できる機械で精度の必要な遠心分離機を作るのに使える、と紹介されている。しかし逆にみるとそんな特殊な計器でないと判らないような高精度の加工ができる機械、例えばNC旋盤やNCフライス盤、を保持していなければ意味がないことにならないか?それだけの技術的基礎と扱うための技能知識等のソフト的側面も疑問だ。勿論、過去にはパキスタンへのステッピングモーターの制御器(濃縮ウランを作るための遠心分離機に使える)が密輸されたことがあるし、何処かしらアウトロー経路があるのだとは思うが、日本のマスコミから伝えられる情報に不均一性や不自然さがあることに疑問を感じる。東芝だったかのCOCOM違反疑惑(多軸制御フライス盤輸出)もあったが、あの時は輸出されたと考えられる時期とソ連SSNのスクリュー音の大幅な静閑性が認められたとアメリカが指摘した時期との間に余りに時間差(即ち使い方を学習し実際に作成するためのノウハウを得るための時間)がなさ過ぎる、という反論も複数のマスコミ系列からあった。ついでにスクリューを完成するには熟練工による手作業も(少なくとも日本国産では)必要である。三次元測定器と核実験(プルトニウム原爆だから遠心分離機は必要ない)を持って危機意識を高める情報操作がある、と言うほど馬鹿な話はないと私は思う(思いたい)。また、「情報と国家」(江畑謙介・講談社現代新書)に見られるような疑惑の暴走とでも言うしかないものがあると言うのも解せない。如何に日本国民を軽薄短小と愚弄する輩が居たとして、輩がこれほど筋の通らないシナリオを書く程、北朝鮮の為政者のような(diarynote倫)ではない・・・と私は思う(というか、思いたい)。単に言えることは、日本が情報小国で解析能力に劣り、政府と国民にも十分な慣れがない、と言うこと位じゃないだろうか。核実験の無法性を非難する一方で、日本国民と政府の判断能力とその基礎の不足も、私は訴えたい。

コメント

お気に入り日記の更新

最新のコメント

日記内を検索