7/16 曇りところにより一時雨:二度目の鬼怒川温泉
2005年7月16日 旅行 義母の古希旅行で鬼怒川温泉に行く。奥鬼怒温泉郷というか、山を登って頂上の湿原まで行ってしまうのだけど、は2回行っているが、普通の温泉ホテルに二度泊まりに行くというのは初めて(ちなみに奥鬼怒温泉は車中泊)。
想定したより遅れて出発したものの(私の寝坊)ホテルには通常のチェックインより早めに着いた。建築当時どう呼んでいたかはしらないが、所謂アトリウムに太鼓や生ビールのサーバー、屋台風のお面、子供プールに水風船やら浮かべている作業を見ていると、なにやら企画をしているのだと思う。部屋でごろごろしたり風呂に入っているうち、義弟家族と義父母がやってくる。部屋割りやらまとめて貰った浴衣の配分など、妻がうまいことやってくれる。ありがたい。
夕食はバイキング、会場はアトリウムの脇。品数は比較的ないが、焼きたて餃子やら揚げたて天ぷらやらそれなりに充実した内容で、「いらない」と思う食べ物は少なかった。さらに終了時刻近くになっても最低限の料理が出ているのもなかなか計算高いと思う。・・・と、アトリウムの方から太鼓やら篠笛が聞こえる。小規模のお祭りをやっているのだ。妻の甥・姪ははしゃいでその母は大変。その間わが家と義父母は飲んだり食べたり、のんびり。充分に食べた所でアトリウムに行くと笛太鼓に歌なんぞも謳っている。程無くして終わると、演者紹介。女将の娘達に傘下のラーメン屋(この頃ホテルに併設したりしてますよね)の夫妻。縁日風味も従業員のようである。コストをかけないで企画を作るとは頑張っているんだなと思う。さらにその後子供たちには花火をサービスしたり、カブトムシ取りにバスを走らせたり・・・なかなか凄いもんである。まあ、私たち夫妻は見てるだけだったりするけど。
部屋にかえって暫くしたら風呂。夕刻には閉っていたバーやらエステサロンやらが開店している。人が入っているのを覗きつつ、経営状況を邪推。そして夫婦でちょろっと飲んでほのぼの時間を持つ。
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鬼怒川温泉、それほど悪いところではないと思う。が、前回温泉郷のまん中に近い所に宿を取ったら、周りが案外廃墟ビルだったり、夕刻には客足も消えて喫茶店さえ閉ってしまうでは流行り方も残念なものなんだろうな、と思う。そんな危機的状況にあってこのホテルは積極経営難だろうなぁ、としみじみ思った。
想定したより遅れて出発したものの(私の寝坊)ホテルには通常のチェックインより早めに着いた。建築当時どう呼んでいたかはしらないが、所謂アトリウムに太鼓や生ビールのサーバー、屋台風のお面、子供プールに水風船やら浮かべている作業を見ていると、なにやら企画をしているのだと思う。部屋でごろごろしたり風呂に入っているうち、義弟家族と義父母がやってくる。部屋割りやらまとめて貰った浴衣の配分など、妻がうまいことやってくれる。ありがたい。
夕食はバイキング、会場はアトリウムの脇。品数は比較的ないが、焼きたて餃子やら揚げたて天ぷらやらそれなりに充実した内容で、「いらない」と思う食べ物は少なかった。さらに終了時刻近くになっても最低限の料理が出ているのもなかなか計算高いと思う。・・・と、アトリウムの方から太鼓やら篠笛が聞こえる。小規模のお祭りをやっているのだ。妻の甥・姪ははしゃいでその母は大変。その間わが家と義父母は飲んだり食べたり、のんびり。充分に食べた所でアトリウムに行くと笛太鼓に歌なんぞも謳っている。程無くして終わると、演者紹介。女将の娘達に傘下のラーメン屋(この頃ホテルに併設したりしてますよね)の夫妻。縁日風味も従業員のようである。コストをかけないで企画を作るとは頑張っているんだなと思う。さらにその後子供たちには花火をサービスしたり、カブトムシ取りにバスを走らせたり・・・なかなか凄いもんである。まあ、私たち夫妻は見てるだけだったりするけど。
部屋にかえって暫くしたら風呂。夕刻には閉っていたバーやらエステサロンやらが開店している。人が入っているのを覗きつつ、経営状況を邪推。そして夫婦でちょろっと飲んでほのぼの時間を持つ。
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鬼怒川温泉、それほど悪いところではないと思う。が、前回温泉郷のまん中に近い所に宿を取ったら、周りが案外廃墟ビルだったり、夕刻には客足も消えて喫茶店さえ閉ってしまうでは流行り方も残念なものなんだろうな、と思う。そんな危機的状況にあってこのホテルは積極経営難だろうなぁ、としみじみ思った。
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